晶燦

あそび

2021/09/07

あきらめるって重い言葉やなって思う。

辞書引くとさ、不可能を悟り、望みを捨てる。思い切る。みたいなこと書いてある。

 

不可能を悟る、からの望み捨てるって、めっちゃ激重ムーブやん、しんど。

まず可能、不可能を悟るには、その前に試行錯誤や努力があるやん。

それで、結果を受けて、自分の原動力になってたものを放棄するんやろ。

相当精神削られるわ。長く続けてきたことなら特に。

 

日本人は根性論大好きマンやから、あきらめるな!最後までやれ!って手放しで言うてくる人多いな。

しんどさ、辛さを知ってる人は、もうちょっと励まし方にレパートリーがある。

一緒に頑張ろう、とか、アドバイスをくれたりする。

「遠い親戚」の励ましもいいけど、結局頼りになるのは「近くの他人」やよな。

 

第一、あきらめることって、そんなに悪いこととも思わん。

あきらめるって言うから、あかんのかもしれん。

だって辞書通りやとかなり辛い言葉やし、根性論路線でいくと無責任、投げ出し、みたいな感じになる。

この際、ネガティブ・アクセプションとか消極的許容って言った方が良いと思う。

残念やけど、自分ではどうしようもないことを認めて受け入れる、という流れがよく出てると思わん?

そこに非難される余地は微塵もないし、気負ったり、悄気る必要はない。

むしろ自分の力量や状況を知って、そこから退く勇気を持つって素晴らしいと思う。

並の器ではできないことや。

 

あきらめる、は努力した人に与えられる勲章の一つやと辞書を書き換えなあかんな。

そして、結果が実らなくても、やってきたことが、当人にとっての糧になり、他人に踏み荒らされないことを私は祈るわ。切実に。

 

今日はここまで。また明日。